突然の死別。特に自死の死別体験について。メンタルに障害のある人。



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どうにもならないこと
今月も中盤に入って、自分がどうにかしている、
ということに気がついた。
先週の診察では、問題にもして
いなかったけれど、
ひどい。
人が変わったように、荒れ果てて
いる。
攻撃的で、冷たい。

おだやかな自分に戻りたい。

自分で自分の首を絞めている。
なんとか、しなければ…。
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BrazilのYamandu Costa
ブラジル南部出身のギタリスト。
ヤマンドゥ・コスタ。
去年あたりに、突然現れた7弦ギタリスト。

その音楽は、ブラジルの伝統と現在が混在する。
僕にとっては、エグベルト・ジスモンティ以来の
驚いたギタリスト。

なぜ、こうも南米のミュージシャンに惹かれるように
なったのだろう。

ブラジルは、ボサノバやサンバだけでなく、
とても、奥深い懐をもっている。
文化も民族も多様で、共存している。

サッカーも時代を担う、次元の違うプレイヤーが、
次から次へと、出てくる。

30年ほど前に、ブラジル音楽シーンに、
トロピカリスモという運動があった。
その中心人物が、今、文化相大臣になっている。
ジルベルト・ジルだ。

サッカーも音楽も政治も、まるで、同じ
次元のようだ。

ヤマンドゥ・コスタの公式サイトで、
そのパフォーマンスを少し、見ることができる。

   http://www.yamandu.com.br/


去年、トリオで来日しているはず。
(僕の情報は、遅いな。)
でも、こういうギタリストが、ライブこそ
スゴイのは、勘でわかる。

cd_aovivo-capa.jpg

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PCの前で録音
もう、古いPCで、変え時といえど、
なかなか費用が出ず。

PCの前で、横になり、
アコースティック・ギターを直で
つないで、録音状態にする。

30分ほど、流れのままに録音。

あとで、聴き返して、いつも思うのは、
ミス・トーンが多い。

あぁ、良い線いったところで、コケてる。


バンドに参加してたころ、
床に寝転んで弾くのが、ウケたので、
今でも手元は見ずに、弾いている。

障害者のパーティーに呼ばれたとき、
自閉症の子たちが、いきなり
ガバガバ乗っかってきたので、
ウレシイ^^

一番ノリのいいのが、自閉症の人たち
なのだけど、筋無力症の人も車椅子で
暴走するので、とても気持ちイイのです。

山谷の越冬ライブでは、やっぱ「ヤジ」が
スゴイ。
負けてはいられないので、こっちも
ヤジります^^

おとなしいのは、精神科の人たちかな。

でも、ライブは、いつも楽しかったな。
後味の悪さもいつもあったり…。
自分でいうのもなんだけど、こんなに
気が小さい僕が、演奏でブッチャケるのは、
バンドのときだけだった。

今は、そういうことがなくなり、
さみしいものです。

(言っておくけど、障害者をけして
 差別する気はないです。)
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君の哀しみを…僕のものに…
あらかじめ、伝えておきたいのは、この死別による「グリーフ・ワーク」は、もう、十数年前の過去のものであること。
そして、僕の突然の死別体験は、もっと過去の兄の自死があり、そして、結婚後、妻の自死があった。
兄の死は、受け入れられるものだったが、妻の投身自殺は、僕には、衝撃的で、その後、8ヶ月、病院に入院した。

その折に描いていたのが、一連の絵である。

まもなく、知り合った人が、荒川に入水自殺し、僕は、追われるように、身内に身を寄せるように、八王子に引っ越してきた。

その後、自宅で寝たきりの父を、ひとりで介護していた姉が、父の入院と同時に、自宅で縊死した。

妻の死後に、入院した病院での入院生活の時に絵を描いた。

その病院では、定期的に「造形教室」というプログラムを、安彦耕平さんが、開いている。
「癒しとしての自己表現」という展示を東京都下八王子で、年一回開いている。
昨年、映画「心の杖として、鏡として」というドキュメントを公開して、現在も各地で上映会を開いている。
この映画と僕は、何も関係はない。
僕が現在通っている主治医の病院内で、「アトリエ・カノン」という場を安彦さんが開いている。

僕は、自身で描いたこれらの絵を、すでに燃やして残していない。
あるのは、ポジのスライドと、それをデジタル化したものだけだ。
当初は、当時の絵を描いた動機などを書き記したいと思ったが、記憶があいまいなので、断片的にしか記していない。

今は、絵を描くことはない。
正直に言えば、安彦さんのアトリエにも、映画にも批判的感想しか、持っていない。
そのことには、ここでは一切触れない。


この絵は、ただ、妻が生き様の中で、耐えきれない哀しみを抱えていたのを
少しは知っている者として、妻にどれだけのことが、できただろうか?
という加害者のような僕の心境で照らしたものだ。
すでに、妻の生きてきたことのあれこれを知っているのは、僕だけである。
なおかつ、その記憶は、薄れつつある。

僕は、妻の葬儀のあと、妻が一番かわいがっていた犬「アミ」と、妻の写真一枚だけをもって、一緒に暮らした家を出た。
あとのものは、全部捨てた。


君の哀しみを…僕のものに…

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